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2005年京都会議会頭所信演説 (2004/01/23)
社団法人日本青年会議所
2005年度第54代会頭
高竹和明
1905年1月1日、それまでに2回の旅順総攻撃が失敗に終わっていた日本軍は第3回の旅順総攻撃、第3軍司令官、乃木希典陸軍大将は203高地を奪取し、旅順は陥落した。
過去2回の総攻撃失敗の折、乃木更迭(こうてつ)の話が出た、明治天皇は「この仕事は乃木でなければできない。誰が行っても陥ちないものは陥ちないのだ。
乃木であればこそ、兵たちも苦しい戦いを戦い抜いているのである」と発言されたという。
乃木将軍は2人の息子を最も危険な部署に配置し、2人とも戦死させている。
それが第3軍の兵士に電撃のように伝わり、彼らは敢然として203高地という死地に突撃していったのです。
また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の自殺は、殉死として美談にもなった。
東京都港区に乃木を祀った乃木神社がある。
また、トルコやポーランドなどでは今でも名前に「ノギ」とつける人も少なくなく、日露戦争後から中華人民共和国に占領されるまでの間、満洲人の民家に満洲からロシアを追い払った感謝の念を込めて乃木希典の肖像画が飾られていたといいます。
同じく1905年5月27日、早朝、旗艦(きかん)三笠に乗船する東郷平八郎海軍司令官は「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」と各艦に戦闘態勢を取るよう司令しました。
その日の午後、連合艦隊は丁字状に展開して、ラインで相手艦船を捉え、1個ずつに集中攻撃をして、ひとつずつ沈めていく作戦を採ったといいます。
狭い対馬海峡故に相手が横に広がることができないのを利用した作戦でした。
両者の戦果は歴然としていました。
翌日午前中までにバルティック艦隊は3分の2の艦船が沈み、降伏した艦船などをのぞくとウラジオストクにたどりついたのはわずか3隻。
5000名の死者と6000名の捕虜が出ました。
主力海軍が壊滅したロシアは講和を結ばざるを得なくなり、日露戦争は日本側の勝利で終了したのでした。
そして1905年9月ポーツマス講和条約が調印されます。
三国干渉から臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を誓った日本国民はこの勝利に歓喜し、明治維新以来、国家の根幹を作り、欧米諸国の文明を取り入れ、脱亜入欧を掲げ、富国強兵政策をとった日本は列強の仲間入りを果たしたのです。
東郷司令官はその年12月戦争が終わって連合艦隊を解散するにあたり、次のような訓辞をおこなっています。
「昔、神功皇后(じんぐうこうごう)が朝鮮に進出してから400年間日本は半島に拠点を築いていたのに、ひとたび海軍が衰えると、白村江(はくすきのえ)の戦いでたちまちこれを失った。
近年でも徳川幕府の時代に太平になれてしまっていたら、ほんの数隻のアメリカ軍艦にも立ち向かうことができなかった。
平和な時こそ軍人は鍛錬を怠ってはいけない。
そして時代に取り残されないように技術の進歩を常に図っておかなければならない。
一勝に満足して太平に安閑(あんかん)としている者はただちにその栄冠を取り上げられるであろう。」
今年は日露戦争に勝利して100年目を迎えます。
100年前の我々の志高き先祖が世界における日本の位置を確認し、この国には何が必要で何を変えてはいけないかを考え、そして行動し、形を作り、結果を出した。
今、我々はこのことを素直に喜べるでしょうか。そして国家を支えてきた先祖に敬意を払う意識があるでしょうか。
100年前の人々の志、明治人の生き様に我々は多くの学び取るものがあります。
豊かでたくましい国をつくろうと目指し、またその国を守ろうとした明治人の気骨があったのです。
この100年前の戦争について考えることにより、争いに一切かかわらないことや、隣国と仲良くするだけが平和であるという思考停止してしまった戦後日本の世界観や歴史観を変えなければなりません。
1991年ソ連崩壊、そしてイラクのクエート進行による湾岸戦争、2001年9.11同時多発テロ、2003年イラク戦争、そしてさまざまな民族による内紛、世界はまた弱肉強食の時代に戻ってしまいました。
経済でもグローバリゼーションの名の下に契約社会の中で弱肉強食、貧富の格差は増大し、勝ち組と負け組みにはっきりと分かれています。
そして日本は今、イラク戦争のへの対応や自衛隊の派遣を契機に大きな岐路に立っています。
戦後の長い一国平和主義という殻を破り、アメリカを中心とした国際社会の一員として平和建設に舵を切ろうとしています。
この状況は100年前、日本がロシアという大国の脅威を前に、その恐怖におびえながら極東の殻の中にこもって生きるのか、またはそれをはねのけるために戦うのかとの決断を迫られたときと似ているともいえます。
今、100年前の日本から学ぶべきことは、国民一人一人がいかに国際情勢を冷静に、そして的確にとらえて自らの国の将来を考え、決断を下したかということです。
弱肉強食の時代を迎えた世界だからこそ、100年前の日本人が持っていた国家感、国家の大義を見出さなければならないのです。
戦後の民主主義教育を受けた私たちは深い眠りについていたのです。
国家や民族という言葉は使うべきではないと教えられました。
給食のときに食べる前に手を合わせることをさせない先生もいます。
そしてほかの国を攻めたことを大きく戒められた我々は国を守ることさえ考えることをしなくなりました。
この国に生まれてきてどう生き、どう死ぬのか
この国に対して何が出来るのか
私は世界が平和であることを願ってやみません。
しかし平和とはいったいなんでしょうか。
今、我々は与えられた平和の中で暮らしているといっても過言ではありません。
平和とは誰かから与えられるものではなく、自分たちが自分たちの努力で掴み取るものなのです。
大日本帝国憲法から戦後改正された現在の日本国憲法も与えられたものです。
韓国の憲法前文では
「悠久なる歴史と伝統に輝くわが韓国国民は」とあり、
カンボジア憲法では
「我々カンボジア国民は、常に裕福で、偉大な、傑出した文明をもち、ダイヤモンドのごとく高貴な威光を放つ、繁栄し、栄光ある民族であり」
とかかれています。
憲法というものはその国の国柄を表すのです。
そして今の日本国憲法のように、過去を全面否定して、過去はひたすら悪かったのだという憲法を持っている国はありません。
その国柄を自発的につくり世界に知らしめる。その根本がなければ、何事も自発的に、自分たちで作り上げる「創造」というものは出来ません。
戦後60年という節目に「JC発日本国憲法改正案」を提案します。
そして100年前に習い、明治人の気概を見習い、国家の大義を見出します。
混迷を極める世界の中、冷戦構造崩壊以後、それぞれの民族がアイデンティティによって国家を形成しているとき、日本は失われた10年といわれるように目先の経済にとらわれ、今でも漂流をしつづけています。
科学の急速な発展は発達した交通網と投機の時代を出現させました。そしてこの発展はエチケットや言語の西洋化という傾向を伴いながら、商業主義、工業主義など、さまざまな表現となって現れています。
果たして欧米でいう「進歩」とは何のためにあるのでしょうか。
物理的な効率がいくら高められたところで、それでどんな目的が果たされるというのでしょうか。
富の増加と国威の急激な発揚を可能にしたこの動きは元はといえば、人間性、友愛、相互信頼などの栄光の達成を目指したものでした。
今こそ、日本の新しい、あるべき姿、ビジョンを確立しなければなりません。
経済もまちづくりもビジョンある国家があってこそ、国益に沿った戦略があってからこそ、本当に経済での利益が国民にもたらされ、まちづくりが生きるのです。
世界はより原理・原則に基づいて作用する時代になりました。
しかし多様な世界で原理・原則だけではどうしても理解し得ないこともあります。
日本には原理・原則とともに「尊敬」「信頼」「正直」「寛容」といった元々バランスのある信頼に基づく社会なのです。
そしてその信頼社会には脈々と受け継がれてきた道徳がありました。
仁・義・礼・智・信は孔子の五常の徳です。
仁とは思いやりの心をもつこと
義とは世のためになる人としての道
礼とは礼儀正しく謙虚で感謝する心
智とは是非の区別がつくこと
信とはうそをつかないこと
そして武士道は、「五常の徳」を「仁義」「義勇」「忠義」「信義」と置き換え、さらにその集大成として「誠」の徳を最高の位置に据えました。
「誠」とは、一般的には、「まごころを尽くす」という意味ですが、その字が「言」と「成」からなるように、「言ったことを成す」との意味に転化し、ここから「武士には二言はない」との言葉が生まれ、言行一致の行動美学となりました。
今まさにこの日本は道徳力の再生が必要なのです。
そして今この国は命をかけるということが死語となりつつあります。
人間は時として命をかけなければならないことがあります。
命をかけるに相応するものがあって、初めて人の魂は輝くのです。
命をかけるのにふさわしい社会を創る。
2005年度はバランス型信頼社会という東洋的な社会の確立、JCIへはグローバルモラリティという国際信義を発信します。
そして、今一度祖先から継承しなければいけないものを見極める感性を養い、確固たる日本を作りましょう。
ここにいる727名のトップリーダーはそれぞれのLOMの中で、まちの中で光り輝いています。
その輝きを魅力に変えましょう。リーダーの魅力をメンバーに伝えるのです。
JCの真のリーダーは
自らを謙虚に見つめ、本質を見極め、
一つの答えに固執せず、どんどんやり方を変え、
自分より能力のある異質な強みをもったメンバーを認め、活かし、まとめ上げ
一瞬一瞬の真剣勝負のトライ・アンド・エラーができる。
いまこの組織は強いリーダーシップを望んでいます。
夢を語り、ビジョンを掲げ、メンバーを束ね、ひとつの目標にまい進する強固な組織をつくりましょう。
知識・見識・胆識という言葉があります。
自らの経験が伴って、知識の裏づけが取れた状態。
これを見識(けんしき)と言います。
ただ知っていると言うだけでなく、事実として体得しています。
それに加えて、見識に基づいた正しい行動が取れること。
これが胆識(たんしき)です。
反対者や抵抗勢力が居るような状況であっても、正しいこと必要なことは貫き通す。そういった肝が据わった状態です。
知識を身につけ、見識を語り、胆識をもって英断する。
そんな若きリーダーの登場を世の中は待っているのです。
青年会議所の運動はこの55年間、先輩諸兄のご尽力で耐えることのない発展を遂げてきました。その時代の流れを読み取り果敢にチャレンジし運動を発展してきました。
阪神淡路大震災から10年、1995年鐘が鳴る丘プロジェクトを始め、災害支援を積極的に行ったJCは、時代の流れを読み取りNPOとの連携をはじめとする新しい価値を生み出しました。
それは、2004年の新潟、福井、豊岡、舞鶴、新居浜、瀬戸内沿岸部の洪水、新潟県中越地震においてJCの活躍、存在意義を証明できたと考えます。
さらにスマトラ大地震、インド洋津波の支援にも動き始めました。
今の世の中の流れは何か
今、世の中が我々青年に求めているものは何か
それは実際にこの世の中で「役に立つ」「活躍」することです。
我々青年が社会を変革する、創造する時代なのです。
55年が経過したJC運動の綱領を継承し、さらに発展させるためには、JCの新しい価値をつくらなければなりません。
もはや机上の空論では世の中とは乖離していくのです。
それぞれのまちも各地のJCがリーダーとなって実現出来うる進化と継承を行うのです。
一歩づつ、一歩づつ実際に行うのです。
国家、国際、経済、地域を包括して知識を所有し、見識を語れる団体はJCしかないのです。
青年が、リーダーとなってまちづくりをリードし、
変革と創造を実際に行うJCこそが更なる50年のJCの価値なのです。
今年はローカルマニフェスト型の公開討論会を全国展開します。全国のLOMと協働運動を行いますが、これがすべての首長選挙で行われたとき、必ずJCは社会を動かすのです。
727会員会議所、43,000名のメンバーを要する青年会議所は必ずや社会を変革しえる団体になる。いやならねば、ならないのです。
仁なくして人育たず
義なくして志たたず。
礼なくして継承なし。
智なくして英断なし。
信なくしてリーダーにあらず。
仁・義・礼・智・信
いままさに我々は生まれ変わる。
目覚めよ日本
目覚めよ"JC New Generation"
新たなる日本の夢に向かって・・・
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